なんとなく10年目なので、つらつら書いておこうかな〜と思い久しぶりにブログ更新です。
自分語り多めですよ。
東日本大地震から今日で10年。当時、都内湾岸エリアの高層ビルでお仕事してまして31階で経験した地震は東北出身で震度4程度の地震には慣れてる自分でも『これはビル倒れて死ぬかも…』と頭によぎる程の揺れでした。(実際は免震対策の関係で相当揺れていたらしい。地震後も20分は揺れ続けてた)
ビルのエレベーターが止まり最寄駅の路線も全て運休。23時ごろに動き出したけど、非常食等も支給されたので職場で一晩過ごしました。
Twitterも今ほど普及してなかったのでそこまで情報は入ってなかったと思います。時々揺れる余震にビクビクしつつイヤホンでアニソン(地震の1週間ほど前に発売されたばかりのマクロスFの楽曲達)をガンガンかけながら寝て始発で帰りました。ヒールのあるブーツで階段31階分降りるのはハードでしたよ…苦笑
地震の被害の大きさに気づいたのは帰宅してテレビ見てからでしょうか。
原発の映像に津波の映像、CMがぽぽぽぽーんになったり、輪番停電のお知らせがきて自宅が停電になる事が発覚したり…… 停電対応はそんなに長くはなかったけど、帰宅するたびにリセットされてる家電類がなんか精神的に辛かったな😅 節電対応はその年度はずっとだったかなかなぁ。夏は顧客先が週休3日で働いてくれと言ってきまして、しかもエアコンは最低限しか動かさないからと扇風機が支給されたりね。フロアの蛍光灯も2本セットのが全部1本ずつにされたりと、当時は駅や電車も節電で薄暗かったなあ……
仕事内容も某通信系会社のシステム開発してたんですが、津波で壊れた設備を治すからシステム開発にお金だせないとか言われて開発が数ヶ月ストップ。いろいろ考えさせられた年でした。(でも地震対応に伴うシステム改修で自分のチームだけよく残業してた…苦笑)
そんなかんじで関東圏の人もそれなりに大変な1年だったと思うんだけど、誰一人文句とか言わずに受け入れていたのはやはり被災地域の被害の大きさをニュース等で見ていたからだと思います。
人生何があるか分からない。
そんな地震から10年を経て、子供の入学入園グッズをのんびり作れる環境は幸せだなぁ…としみじみ感じるのでした。(予定より遅れてるけどね)
これからも3.11が来るたび色々思い出すと思うんだけど、後悔なく過ごしていけたらいいな。



