【通達】
◯の月△日から2日間百足緊急メンテナンスの為、搭乗員は非戦闘員含めて全員百足から降りること。
期日までに降りなかった者は百足による強制排出を行うため、命の保証なし。
再搭乗は▽日9時から6時間、場所は癌陀羅近郊、座標45-176とする。
***
「奇淋、百足の緊急メンテなんて初めて聞いたんだが、オレも降りないといけないのか?」
1枚の紙を持って百足の主人である軀は奇淋に怪訝そうな表情で詰め寄っていた。
(……何故こういう時だけ気付くのが早いんだ、このお方は……)
普段自室に篭もりがちで周りの事にあまり興味を持たない軀だが、隠れて行動しようとした時に限って気づかれるのだ。
冷や汗をかきながらも奇淋は何食わぬ顔で軀の問いに答える。
「軀様は降りなくても問題ないかと。……飛影の命ですので、私も詳細は知らぬのです」
「飛影が?」
その名を聞いてわずかに顔が緩んだのを奇淋は見逃さない。本当にアイツには皆甘すぎる。自分も含めてだが……
時は遡ること1週間前。
いつも通りのルーチンワークのパトロールを終えて、幹部用の休憩室に向かった奇淋は普段なら鉢合わせすることのない飛影とばったり居合わせる事になった。
「なんだ、お前がこっちにいるのは珍しいな」
軀様と喧嘩でもしたのか? の一言は言わずに奇淋はソファーに腰を下ろした。
百足に飛影が来てから数十年。背丈も伸びてかなり成長したが奇淋ら百足の元幹部達からしてみたらまだまだ子供みたいな存在だ。最初こそ生意気なガキと思った時期もあったが、戦闘センスはずば抜けており、あっという間に当時筆頭であった奇淋に迫る妖力を身につけた。さすが軀様が見つけてきた逸材と思っていたが、それだけが理由ではない事もすぐ知る結果となる。
「頼みがある。1日だけ百足を借りたい」
唐突に飛影がそんな事を言うので、奇淋は飲もうとしていたお茶を盛大に溢してしまった。この数十年、飛影から頼み事などされた事がなかったから当然だ。
「む、百足を借りたいだと? そんな気軽に貸せるようなものでもないぞ。パトロールだってあるだろう?」
「パトロールについては大統領に掛け合って休みをもらった」
ぴらっとどこからともなく取り出した紙を奇淋に見せる。魔界パトロールを休む事を許可する旨が書かれており大統領のサインも書かれていた。パトロール休暇期間中は人間界との結界を強化し霊界側からもフォローするといった事まで書かれており、奇淋は思わず頭を抱え込みため息をつく。
飛影はこんな根回しをする奴ではない。
あのキツネの知り合いあたりが助言しているのだろう。そうまでして百足を借りたい理由はなんなのか。
たぶんそれは言わないだろう。そういう奴だとこの数十年の付き合いで知っている。
「乗っている奴らを期日までにどうにか降ろして欲しい。百足の亜空間能力で強制的に降ろしても構わないんだが、そんな事をするとアイツが怒るからな……」
軀の事をアイツ呼ばわりする飛影に苛立ちを感じながらも、百足にいる者を全て降ろす方法を思案する。が、さすがに無理だ。期間が短すぎる。
ふと、大統領のサイン付きの紙を見てある事に奇淋は気付いた。
――この日は……
決して飛影の為ではない。軀様の為なのだ。
そう自分に言い聞かせて奇淋はその後にしなければならない膨大な事務作業や連絡を1週間でやってのけて飛影の頼みを聞いたのだった。
「この日……、ふーん、今年は随分大掛かりだな……」
紙を見ながら軀が呟く。
「何か問題でも?」
「いや……、飛影が面倒かけてすまないな。面倒くさいこと、全部お前に押しつけたんだろう?」
くすくすと全てお見通しと言わんばかりに軀は笑っていた。そうして、下がっていいぞと奇淋に言うと別れ際に小さく”ありがとう”と礼を言ったのだった。
***
「癌陀羅観光バスツアーに参加の方はこちらにお集まりください〜」
小さな旗を片手に持ち、きちっとした紺の制服に身を包んだガイドが数十人の妖怪達を引き連れていた。その観光客の中に奇淋や時雨といった元77名の直属戦士達の姿もあった。期日ギリギリまで百足に残っていた面々は、集合場所の近くで時間を潰すことになったのだ。
「奇淋殿、色々と大変であったな」
「いやいや、時雨の協力にも感謝している」
突然決まった百足空っぽ大作戦、それはそれは大変だった。まずは一般兵を長期休暇と称して早めに降ろし、続いて非戦闘員を降ろした。これによりパトロールは少数精鋭でやる事になり、身の回りの世話もすべて自分達でする事となった。その結果、食堂が悲惨な事になった。見かねた時雨が素晴らしい包丁捌きを見せてくれたが、きっとあとで食堂のオヤジさんにドヤされる事だろう。
少数精鋭になった事で、奇淋や時雨のパトロール時間が増えたのも言うまでもなく、もちろん飛影にもそれはもうしっかりも働いてもらったのだった。
「百足は今頃どこにいるんでしょうな」
「無事に帰ってきてもらえればそれで十分。今日は観光を楽しもうではないか。ここは良い酒が揃っているらしいからな」
そういうと奇淋はニヤリと懐から一枚のカードを取り出し時雨に見せた。
「これで飲み放題だ」
そのちらりと見せたカードの印字を細目で見て時雨もおおいに笑ってみせた。
「ハハハっ!! それでこそ奇淋殿! こちらはこちらで楽しもうぞ!」
互いに笑いあっていると前の方からガイドの声がした。
「皆さま、空をごらんください。ここ癌陀羅は年中雷雲に覆われている地方でこのように空が見えるのは大変貴重であります。空に向かって願い事をすると叶うとも言われていますので皆さま是非お願い事をしてくださいね」
ガヤガヤと賑やかになる観光客の中で奇淋が見上げれば、空を覆っていた雷雲が少しだけ晴れて確かに青い空が覗いていた。その青は深い深い青色で。
穏やかな目になってしまわれたが、それはそれで良いと思う――
雲の切れ間から見えた空に、あの人を思い浮かべて願うのだ。
そんな日が続くようにと。
end


